プロフィール
斉藤まさひろ
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【 経歴 】
清瀬市 武谷病院生まれ
リトルスター
きよせ幼稚園
清瀬三小学校
清瀬第二中学校
拓殖大学第一高等学校
拓殖大学政経学部政治学科
秋草学園福祉教育専門学校
重症心身障害児者施設秋津療育園
【 プロフィール 】
◆1981年 11 月 22日 清瀬市にあった武谷病院にて 3280g で生まれる。
◆2歳のとき タバコの吸い殻を誤飲し、救急にて胃洗浄をし、九死に一生を得る。
◆6歳のとき 就学前健診で、心室性期外収縮症(不整脈)と診断。高負荷の激しい運動など全般が禁止に。その後、中学卒業まで、親の付き添いの元、さまざまな病院のお世話になる。プールの授業は小学 1、2 年は養護室での対応。3年生からは他児童が白い帽子の中、赤い帽子での参加。スポーツ関連が禁止のため、手話クラブに在籍。その頃、手話に興味を抱く。
◆治療の結果、中学入学とともにスポーツが解禁となり、近所のお兄ちゃんがしていたラグビーに興味を持つが、清瀬二中にラグビー部はなく、サッカー部に入部し、現在でもたまにボールを蹴り合い、盃を酌み交わす仲間に恵まれる。
◆拓大一高にて、念願のラグビーを始動し、拓殖大学モールラックを経て、現在も東京都のクラブチームに在籍、奮闘中。また、ラグビーの「ノーサイド精神」「多様性と規律性」「尊重するこころ」に魅了され、ラグビースクール生を指導中。
◆拓殖大学時代には、西友小手指店の精肉対面売り場にてアルバイトをする中、小学校で興味を持った手話講座の受講やホームヘルパー2級を取得。他大学ながら日本社会事業大学ボランティアサークル「Hi-Ho」に所属し、「ラガー」の愛称で力仕事などを担当し参加する。
◆仕事は、小学生のときの近隣の養護学校や療護園との関わり、福祉のまち清瀬の影響を大いに受け、介護福祉士取得後、重症心身障害児者施設「秋津療育園」に入職。療育部支援課チーフとして、後輩の育成、介護の質の向上やデータ化 など、長期的な視野を持って仕事に向き合う。毎日の利用者様との関わりが生活の一部で、多くの視線や笑顔が日々の原動力となり、気付けば 16 年。
◆2012年、2014年、2016年、2021年に子供が誕生し、4人の男子の父として奮闘中。早産で極低出生体重児として、1170gで生まれた 四男の出生により、『早産』『NICU』が言葉ではなく、自分ごととして知る。
四者四様、それぞれの良さを感じながら毎日一緒に成長中。
自分の母校に息子が通い、入学式の校歌斉唱で一緒に歌っているうちに涙する。
現在も、児童が少しでも多くの経験が重ねられるよう小学校のサポーターのような役割を担っている。